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浦添市文化財調査報告書 | 浦添市

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Academic year: 2018

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全文

(1)

ま え

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きょう

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き ん

せ い

ぐ ん

経塚下平良大名原 A 丘陵

-浦添南第一土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告書-

2017(平成29)年2月

沖縄県 浦

うらそえし

添市教育委員会

(2)
(3)
(4)

巻頭2 1号墓遺物出土状況

(5)

巻頭4 53号墓遺物出土状況

(6)

巻頭6 1号墓出土蔵骨器

(7)

序   文

 本調査報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、平成25年度に浦添市教育委員会が実施し た、埋蔵文化財「前田・経塚近世墓群」の経塚下平良大名原A丘陵の発掘調査の成果をまとめたもので す。

 前田・経塚近世墓群は、浦添市字前田から字経塚一帯の丘陵に分布するフィンチャーと呼ばれる横穴 式の伝統的な掘込墓を主とする墓群です。その数は1,000基余基を数え、その発掘成果から、前田・経 塚近世墓群は近世琉球より首里の士族から地元の庶民まで幅広い階層の人々により造営され使われ続け たことが明らかになってまいりました。

 今回の調査では77基の墓遺構を発掘調査し、これまでの前田・経塚近世墓群では見られなかった大 きな規模を持つ墓や墓室全体を石積みで造営している墓などが発見されました。また、墓室の中に納め られた蔵骨器に記された被葬者の記録からは、首里・沢岻・内間などに居住し、あるいは関連する人々 が埋葬されたことを読み解くことができました。このことは、文献資料の少ない近世琉球の人々や家族 の歴史の留まらず、当時の浦添の歴史、ひいては琉球全体の歴史の一端を明らかにできる資料であると 言えます。

 本報告書が沖縄・浦添の近世から近代を通じた墓制・葬制を知る上で、市民をはじめ多くの方々に活 用されますとともに、文化財の保護と活用についてより一層の関心を持って頂けるものになれば幸いに 存じます。

 末尾になりますが、現地調査および資料整理にあたってご指導・ご協力を賜りました方々、並びに事 業実施にあたりご協力を賜りました方々に深く感謝申し上げます。

  平成29年2月

(8)

例   言

1.本報告書は、浦添南第一土地区画整理事業に先立ち、沖縄県浦添市経塚に所在する埋蔵文化財 「前田・経塚近世墓群」経塚下平良大名原A丘陵等の発掘調査の成果をまとめたものである。

2.「前田・経塚近世墓群」は、沖縄県浦添市の字前田から経塚の丘陵一帯に所在する墓群である。 大字経塚小字下平良大名原の東側に所在する丘陵をA丘陵と呼称する。なお、発掘調査地点の所在 地は、沖縄県浦添市経塚下平良大名原483ほか8筆である。

3.発掘調査は、浦添南第一土地区画整理事業に伴う発掘調査であり、浦添市からの委託を受けて、 浦添市教育委員会が実施した。

4.資料の整理にあたり、下記の方々の指導・助言をいただいた。記して感謝申し上げる。    銘 書:鈴木 悠(那覇市歴史博物館)

   蔵骨器:宮城明恵(与那原町教育委員会)

5.発掘調査に係る現場作業は、平成25年度に実施した。調査期間は、平成25(2013)年8月1日~平 成25(2013)年12月27日。調査の実施にあたっては、株式会社 シン技術コンサル 沖縄営業所の支援 を受けた。

6.報告書作成は、平成25年度~平成28年度の四ヶ年にわたって実施し、浦添市教育委員会文化課職 員及び文化財調査嘱託職員がこれにあたった。

7.蔵骨器の実測及び写真撮影等については、株式会社琉球サーベイ及び株式会社パスコ沖縄支店、 株式会社三興コンサルタントに委託した。

8.蔵骨器を除く副葬品等の写真撮影については、菅原広史が行った。

9.本書の執筆・編集は菅原広史が行った。

 ※出土遺物一覧表(第3表)は宮城明恵(与那原町教育委員会)が作成し菅原が編集した。  ※銘書は鈴木悠(那覇市歴史博物館)が判読した内容をもとに菅原が編集・執筆した。

 ※人骨は小橋川里江(沖縄県立埋蔵文化財センター)が同定・計測等の分析を行い、菅原がデータ   の編集・本文の作成を行った。

10.本文中で使用した引用・参考文献は、各章末に記した。

(9)

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凡   例

1.本書に表示した基準高はすべて海抜高を用い、メートル単位で表した。 2.地形測量図に記した座標は、世界測地系を用いた。

3.平面図に記した方位は、基本的には座標北を示す。磁北を用いる場合は、その旨を明記した。 4.遺構断面図を作成した位置は、遺構平面図に横断ラインを示し、方向は英字で表した。 5.地形測量図については1/200を基本として作成し、1/400の縮尺で掲載している。 6.遺構図については、1/20を基本として作成し、1/50・1/60の縮尺で掲載している。

7.一次葬人骨の出土状況図については、1/5を基本として作成し、1/20の縮尺で掲載している。 8.遺物の実測図は、出土品のうち蔵骨器は1/6、それ以外は、1/3や1/2、1/1の縮尺で掲載した。そ

れらについては、掲載頁に明示している。

9.掘込墓の各部名称と計測位置については以下のとおりである。

・墓口から墓室に至る通路の名称については、伝統的・一般的な呼称が確認されていないことから「羨 道」と仮称した。

(10)

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10.蔵骨器の分類及び名称と、各部名称・計測位置については、浦添市教育委員会刊行の浦添市文化 財調査研究報告書第25集『伊祖の入め御拝領墓の厨子甕と被葬者』(1997年)および浦添市文化財 調査研究報告書『比嘉門中墓の家族史-家族の数だけ歴史がある- 比嘉門中墓の調査概要』(2006 年)を参考にしている。

(11)

寄棟形 平葺形 平葺形 唐破風形 唐破風形

1方2方 1方4円 1方2方 1方 1方2方

瓦屋形 唐破風形 位牌形 アーチ形

屋門の分類(マンガン釉甕形) マド枠の分類(ボージャー)

屋門計測部位 マド枠計測部位

横軸

横軸

ヨコ

タテ

断面寸法 頭部

基部

先端 陶器(器)

口径

器高 

底径

鉄釘

煙管

雁首

長さ         

火皿径

立ちあがり

ラウ接続部径 長さ

吸口径 吸口

頭部 首部 竿部

長さ

頭部 首部

ムディ部 竿部 簪

A B C D

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A:輪外径縦 A’:輪外径横 B:輪内径縦 B’:輪内径横 C:郭外幅縦 C’:郭外幅横 D:郭内幅縦 D’:郭内幅横 E:輪厚1  E’:輪厚2

 ※ 記載数値は英字と英字’の平均値

 銭貨     

11.窓・屋門の部位名称と計測位置

(12)

目   次

巻頭図版

序文・例言・凡例・目次

第1章 はじめに

 第1節 調査に至る経緯 ………1  第2節 調査体制………1  第3節 調査の経過 ………2

第2章 遺跡の位置と環境

 第1節 浦添市の地理的環境 ………5  第2節 遺跡の地理的環境………5  第3節 遺跡周辺の歴史的環境 ………7

第3章 発掘調査の概要

 第1節 調査の方法 ……… 10

 第2節 層序と遺構 ……… 10

 第3節 遺物 ……… 13

第4章 調査の成果  第1節 1号墓 ……… 25

 第2節 2号墓 ……… 36

 第3節 3号墓 ……… 41

 第4節 4号墓 ……… 43

 第5節 5号墓・ 6 号墓・74号墓 ……… 48

 第6節 7号墓・72号墓・73号墓 ……… 57

 第7節 8号墓 ……… 60

 第8節 24号墓 ……… 62

 第9節 25号墓 ……… 66

 第10節 31号墓・66号墓 ……… 69

 第11節 32号墓 ……… 74

 第12節 33号墓 ……… 79

 第13節 34号墓・67号墓 ……… 82

 第14節 35号墓 ……… 85

第5章 銘書  第1節 資料の概要 ……… 166

 第2節 各墓の概要 ……… 166

 第3節 まとめ……… 168

第6章 人骨について  第1節 資料について ……… 172

 第2節 分析の方法 ……… 172

 第3節 分析結果 ……… 172

 第4節 まとめ ……… 180

第7章 総括 ……… 193

付編1 53号墓出土サンゴ石製家形蔵骨器の赤外線および顔料分析について ……… 197

付編2 遺構の3Dモデリング ……… 200

写真図版 報告書抄録 付録(DVD-R) 第15節 36号墓 ……… 93

第16節 37号墓 ……… 95

第17節 40号墓 ……… 99

第18節 41号墓・42号墓 ………103

第19節 44号墓 ………107

第20節 47号墓 ………110

第21節 50号墓 ………114

第22節 51号墓 ………116

第23節 52号墓 ………118

第24節 53号墓 ………120

第25節 75号墓 ………126

第26節 58号墓・59号墓・溝状遺構 ………129

(13)

挿 図目次

第 1 図 遺跡の位置 ……… 6

第 2 図 前田・経塚の小字図 ……… 6

第 3 図 前田・経塚近世墓群調査地区の位置 …… 9

第 4 図 経塚下平良大名原A丘陵の位置 及び不時発見墓調査地点位置図 …………11

第 5 図 調査区の地形と遺構位置図 ………12

第 6 図 1号墓遺物出土状況平面・立面図 ………26

第 7 図 1号墓遺構平面図・断面図 ………26

第 8 図 1号墓出土遺物(1) ………30

第 9 図 1号墓出土遺物(2) ………31

第10図 1号墓出土遺物(3) ………32

第11図 1号墓出土遺物(4) ………33

第12図 1号墓出土遺物(5) ………34

第13図 1号墓出土遺物(6) ………35

第14図 2号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……38

第15図 2号墓遺構平面図・断面図 ………39

第16図 2号墓出土遺物 ………40

第17図 3号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……41

第18図 3号墓出土遺物 ………42

第19図 4号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……44

第20図 4号墓・5号墓・74号墓遺構平面図・断面図 …44 第21図 4号墓出土遺物(1) ………46

第22図 4号墓出土遺物(2) ………47

第23図 5号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……49

第24図 5号墓遺構平面図・断面図 ………49

第25図 6号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……50

第26図 6号墓遺構平面図・断面図 ………51

第27図 5号墓出土遺物(1) ………55

第28図 5号墓出土遺物(2) ………56

第29図 6号墓出土遺物 ………56

第30図 74号墓出土遺物 ………56

第31図 7号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……58

第32図 7号墓・72号墓・73号墓遺構平面図・断面図 …58 第33図 7号墓出土遺物 ………59

第34図 8号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……61

第35図 8号墓出土遺物 ………61

第36図 24号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……63

第37図 24号墓出土遺物(1) ………64

第38図 24号墓出土遺物(2) ………65

第39図 25号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……66

第40図 25号墓出土遺物 ………68

第41図 調査区中央に分布する墓遺構群 …………70

第42図 31号墓・66号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ………71

第43図 31号墓出土遺物(1) ………72

第44図 31号墓出土遺物(2) ………73

第45図 32号墓・33号墓・34号墓遺物出土状況平面図・ 立面図 ………75

第46図 32号墓・33号墓・34号墓台石検出状況平面図・ 立面図 ………75

第47図 32号墓遺構平面図・断面図 ………76

第48図 32号墓出土遺物(1) ………77

第49図 32号墓出土遺物(2) ………78

第50図 33号墓遺構平面図・断面図 ………80

第51図 33号墓出土遺物 ………81

第52図 34号墓遺構平面図・断面図 ………83

第53図 34号墓出土遺物 ………84

第54図 35号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ………86

第55図 35号墓出土遺物(1) ………89

第56図 35号墓出土遺物(2) ………90

第57図 35号墓出土遺物(3) ………91

第58図 35号墓出土遺物(4) ………92

第59図 36号墓遺物出土状況平面図・立面図 ……93

第60図 36号墓出土遺物 ………94

第61図 37号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ………96

第62図 37号墓出土遺物(1) ………97

第63図 37号墓出土遺物(2) ………98

第64図 40号墓遺物出土状況及び閉塞石検出状況 平面図・立面図 ……… 100

第65図 40号墓遺構平面図・断面図 ……… 101

第66図 40号墓出土遺物 ……… 102

第67図 41号墓・42号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構断面図 ……… 104

第68図 41号墓出土遺物 ……… 106

第69図 42号墓出土遺物 ……… 106

第70図 44号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ……… 107

第71図 44号墓出土遺物 ……… 109

第72図 47号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ……… 110

第73図 47号墓出土遺物(1) ……… 112

第74図 47号墓出土遺物(2) ……… 113

第75図 50号墓人骨出土状況平面図及び 遺構平面図・断面図 ……… 114

(14)

第78図 51号墓出土遺物 ……… 117

第79図 52号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ……… 118

第80図 52号墓出土遺物 ……… 119

第81図 53号墓遺物出土状況及び閉塞石検出状況 平面図・立面図 ……… 122

第82図 53号墓遺構平面図・断面図 ……… 123

第83図 53号墓出土遺物(1) ……… 124

第84図 53号墓出土遺物(2) ……… 125

第85図 75号墓遺物出土状況平面図・立面図 及び遺構平面図・断面図 ……… 126

第86図 75号墓出土遺物(1) ……… 127

第87図 75号墓出土遺物(2) ……… 128

第88図 58号墓・59号墓検出箇所の 周辺地形図 ……… 130

第89図 58号墓一次葬検出状況 ……… 131

第90図 58号墓・59号墓・溝状遺構 遺物出土状況平面図・立面図 ………… 132

第91図 58号墓・59号墓・溝状遺構 遺構平面図・断面図 ……… 133

第92図 58号墓出土遺物(1) ……… 139

第93図 58号墓出土遺物(2) ……… 140

第94図 58号墓出土遺物(3) ……… 141

第95図 58号墓出土遺物(4) ……… 142

第96図 58号墓出土遺物(5) ……… 143

第97図 59号墓出土遺物 ……… 144

第98図 その他の遺構出土遺物(1) ……… 149

第99図 その他の遺構出土遺物(2) ……… 150

第100図 その他の遺構出土遺物(3) ……… 151

表目次

第 1 表 墓室平面形の類型 ………15

第 2 表 遺構観察一覧表(1)~(4) ……… 16~19 第 3 表 出土遺物一覧表(1)~(5) ……… 20~24 第 4 表 1号墓出土指輪観察表 ………30

第 5 表 2号墓出土陶磁器観察表 ………37

第 6 表 2号墓出土煙管観察表 ………37

第 7 表 3号墓出土陶磁器観察表 ………42

第 8 表 4号墓出土陶磁器観察表 ………47

第 9 表 5号墓出土陶磁器観察表 ………52

第10表 5号墓出土煙管観察表 ………52

第11表 74号墓出土陶磁器観察表 ………53

第12表 74号墓出土煙管観察表 ………54

第13表 7号墓出土簪観察表 ………59

第14表 25号墓出土銭貨観察表 ………67

第15表 33号墓出土陶磁器観察表 ………81

第16表 35号墓出土陶磁器観察表 ………88

第17表 37号墓陶磁器観察表 ………99

第18表 41号墓窯道具観察表 ……… 104

第19表 42号墓出土煙管観察表 ……… 105

第20表 44号墓出土銭貨観察表 ……… 108

第21表 50号墓出土煙管観察表 ……… 115

第22表 51号墓出土煙管観察表 ……… 117

第23表 53号墓蔵骨器1から出土した 鳩目銭集計表 ……… 124

第24表 75号墓出土煙管観察表 ……… 127

第25表 58号墓・59号墓出土陶磁器観察表 …… 137

第26表 58号墓・59号墓出土煙管観察表 ……… 138

第27表 58号墓・59号墓出土簪観察表 ………… 138

第28表 16号墓出土銭貨観察表 ……… 145

第29表 76号墓出土煙管観察表 ……… 147

第30表 表面採集簪観察表 ……… 147

第31表 その他の遺構出土陶磁器観察表 ……… 148

第32表 蔵骨器観察一覧表(1)~(14) … 152~165 第33表 銘書一覧表(1)~(3) ……… 169~171 第34表 出土人骨一覧表(1)~(3) … 181~183 第35表 人骨構成(最小個体数) ……… 184

第36表 頭蓋骨主要計測値(男性) ……… 185

第37表 頭蓋骨主要計測値(女性) ……… 185

第38表 上腕骨計測値(男性) ……… 186

第39表 上腕骨計測値(女性) ……… 186

第40表 橈骨計測値(男性) ……… 187

第41表 橈骨計測値(女性) ……… 187

第42表 尺骨計測値(男性) ……… 188

第43表 尺骨計測値(女性) ……… 188

第44表 大腿骨計測値(男性) ……… 189

第45表 大腿骨計測値(女性) ……… 189

第46表 脛骨計測値(男性) ……… 190

第47表 脛骨計測値(女性) ……… 190

第48表 腓骨計測値(男性) ……… 191

第49表 腓骨計測値(女性) ……… 191

(15)

写 真 図 版

巻頭 1 調査区全景(西から) 巻頭 2 1号墓遺物出土状況 巻頭 3 2号墓遺物出土状況 巻頭 4 53号墓遺物出土状況

巻頭 5 53号墓蔵骨器1内鳩目銭検出状況 巻頭 6 1号墓出土蔵骨器

巻頭 7 53号墓出土蔵骨器

図版 1 調査前全景 ……… 204

図版 2 調査後全景 ……… 205

図版 3 1号墓 ……… 206

図版 4 2号墓 ……… 207

図版 5 2号墓・3号墓 ……… 208

図版 6 4号墓~7号墓・72号墓~74号墓 …… 209

図版 7 6号墓~11号墓 ……… 210

図版 8 12号墓~16号墓 ……… 211

図版 9 17号墓~20号墓 ……… 212

図版10 21号墓~24号墓 ……… 213

図版11 24号墓~31号墓 ……… 214

図版12 31号墓~32号墓 ……… 215

図版13 32号墓~33号墓 ……… 216

図版14 33号墓~34号墓 ……… 217

図版15 34号墓 ……… 218

図版16 35号墓 ……… 219

図版17 35号墓~36号墓 ……… 220

図版18 37号墓~40号墓 ……… 221

図版19 40号墓~42号墓 ……… 222

図版20 43号墓~49号墓 ……… 223

図版21 50号墓~52号墓 ……… 224

図版22 53号墓 ……… 225

図版23 53号墓 ……… 226

図版24 53号墓 ……… 227

図版25 53号墓~54号墓 ……… 228

図版26 56号墓~65号墓 ……… 229

図版27 67号墓~74号墓 ……… 230

図版28 74号墓~78号墓 ……… 231

図版29 58号墓~59号墓 ……… 232

図版30 58号墓 ……… 233

図版31 58号墓~59号墓・溝状遺構 ……… 234

図版32 1号墓出土遺物(1) ……… 235

図版33 1号墓出土遺物(2) ……… 236

図版34 1号墓出土遺物(3) ……… 237

図版35 1号墓出土遺物(4)・2号墓出土遺物(1) ……… 238

図版36 2号墓出土遺物(2)・3号墓出土遺物・ 4号墓出土遺物(1) ……… 239

図版37 4号墓出土遺物(2) ……… 240

図版38 5号墓出土遺物(1) ……… 241

図版39 5号墓出土遺物(1)・6号墓出土遺物・ 7号墓出土遺物・8号墓出土遺物 …… 242

図版40 16号墓出土遺物・19号墓出土遺物・21号 墓出土遺物・24号墓出土遺物(1) … 243 図版41 24号墓出土遺物(2) ……… 244

図版42 25号墓出土遺物 ……… 245

図版43 31号墓出土遺物 ……… 246

図版44 32号墓出土遺物 ……… 247

図版45 33・34号墓出土遺物 ……… 248

図版46 35号墓出土遺物(1) ……… 249

図版47 35号墓出土遺物(2) ……… 250

図版48 36号墓出土遺物・37号墓出土遺物 …… 251

図版49 40号墓出土遺物・41号墓出土遺物 …… 252

図版50 42号墓出土遺物・44号墓出土遺物 …… 253

図版51 46号墓出土遺物・47号墓出土遺物 …… 254

図版52 48号墓出土遺物・49号墓出土遺物・ 51号墓出土遺物・52号墓出土遺物 …… 255

図版53 53号墓出土遺物(1) ……… 256

図版54 53号墓出土遺物(2) ……… 257

図版55 62号墓出土遺物・75号墓出土遺物 …… 258

図版56 58号墓出土遺物(1) ……… 259

図版57 58号墓出土遺物(2) ……… 260

図版58 58号墓出土遺物(3) ……… 261

図版59 58号墓出土遺物(4) ……… 262

(16)

第1章   はじめに

第1節   調 査に至る経 緯

 浦添南第一土地区画整理事業は、浦添市を事業主体とする字前田と字経塚にまたがる総面積82.4ヘ クタールの土地区画整理事業である。本事業は平成3年度に都市計画決定し、平成4年度より同事業が 着手されている。

 当該事業の実施に伴い浦添市教育委員会は現地踏査を実施し、更に平成6~9年度にかけて同事業 地内の分布調査を実施した。その結果、地内の丘陵各所において方言名で「フィンチャー」と称する 横穴式の古墓を多数確認した。その総数は事業地内に約1,000基の墓が所在するものと推定された(浦 添市教育委員会1998)。その後、事業の進捗に従って随時範囲確認調査を実施し、実数の把握に努め るとともに(浦添市教育委員会2007a、2010、2013a)、開発スケジュールとの整合性をとりながら 順次緊急発掘調査を実施し、その調査成果をまとめている(浦添市教育委員会2007b、2011、2012、 2013b)。

 同区画整理事業地の経塚地区に位置する経塚下平良大名原A丘陵付近においても道路・宅地造成工事 が予定されていたことから、浦添市教育委員会は平成23年度に現地踏査行い、80基程度の埋没墓等の 遺構があるものとの予想をたてた。上記の踏査の結果を受け、記録保存のための発掘調査を実施するこ ととなり、平成25年6月25日付で浦添市と浦添市教育委員会の間で、「浦添南第一土地区画整理事業 に伴う埋蔵文化財調査業務委託」契約を締結した。

 また、上記契約の締結後、下平良大名原地内で行われていた区画整理に伴う造成工事中に新たに墓 遺構が不時発見されたとの連絡があった。当該地点は平成22年度に発掘調査を実施した地域であった が、地形による安全上の問題から調査が困難であった範囲で、造成の進行にともなって不時発見につな がった。発見された墓遺構は、墓室内に蔵骨器が原位置で残存していたことから、記録保存対象である と認められ、追加調査の実施について浦添市と協議を行った。その結果、平成25年9月20日付「協議 書(第2回)」でもって追加調査が承認された。

 平成26年度については、当該年度に実施する発掘調査の調査依頼と共に過年度調査分の資料整理を 含む形で浦添市と浦添市教育委員会の間で業務委託契約を締結して行い、平成27年度に本報告書刊行 のための業務委託契約を締結した。

第2節   調 査 体 制

 調査の体制は下記のとおりである。

(17)

      同      菅原 広史

      同  文化振興係主事 松田 奈津子(平成25年度)       同     臨時職員 宮里  磨(平成25年度)       同     臨時職員 上原 仁美(平成26年度) 調 査 員      同   文化財係主任 安和 吉則

      同       同  安斎 英介       同       同  菅原 広史

      同     嘱託職員 鈴木  悠(平成25・26年度)       同       同  宮城 明恵(平成25・26年度)       同       同  小橋川 里江(平成27年度)

資料整理嘱託職員

平成25年度(嘱託職員) 糸数永子、金城真由美、白木由子、新城京美、島袋吏乃

平成26年度(嘱託職員) 池宮城聡子、糸数永子、金城礼子、新城京美、照屋芳美、比嘉美智子 平成27年度(嘱託職員) 糸数永子、瑞慶覧尚美、玉寄智恵子、照屋葉史、宮城みさ子

平成28年度(嘱託職員) 石嶺敏子、嘉数さおり、新城京美、玉寄智恵子

調査協力

 勝野久美子、志良堂恵、谷口佳鈴(筑波大学)

委託業務

平成25年度 発掘調査支援業務委託 株式会社 シン技術コンサル 沖縄営業所 平成26年度 遺物実測等業務委託  株式会社 琉球サーベイ

平成27年度 遺物実測等業務委託  株式会社 パスコ 沖縄支店         株式会社 三興コンサルタント

第3節   調 査 の 経 過

 現場調査については、平成25年8月1日から12月27日までの間に実施した。 ○準備作業

 発掘作業に先立つ準備として、8月1日から7日にかけて世界測地系に基づく基準点設置・防蛇網設 置・調査前全景写真撮影の作業を実施した。

 8月12日から17日には人力および重機等を用いた伐木・除草作業を行った。その後、8月19日から 調査前の地形測量を行うと共に、磁気探査を8月23日まで実施しており、その間確認探査により不発弾 が数回に渡り発見されたため、警察へ通報、自衛隊による緊急処理・回収がなされた。

(18)

○表土掘削

 9月3日からは重機による表土掘削を開始した。重機搬入路との関係上、南北に長い調査区の中央部 分からまず掘削作業を始めたところ、コンクリート墓が建設されていた場所を中心に広がる平坦面に表 土直下からクチャの地山が検出されたことから、この平坦面は過去に造成がなされ、遺構は残存してい ないものと判断された。次に、調査区北側へ向かい斜面部の表土掘削作業を進めた。本調査区は概ね全 面的に腐植土を主とした表土層直下に小禄砂岩層(ニービ)の地山が検出されることから、これを遺構 確認面として設定して作業を進めた。

○遺構検出

 9月4日からは人力による遺構検出作業を開始した。重機による表土除去を完了した箇所から順次作 業を進め、遺構プランおよび蔵骨器の原位置での残存の有無等を確認した後、順次遺構番号を付しなが ら遺構検出状況の写真を撮影し記録した。遺構検出作業は重機掘削作業と共に9月24日までに概ね完 了し、調査区内に残存する遺構が掘込墓とそれに伴うピット等の遺構であることを確認した。

○遺構精査

 遺構検出作業は引き続き継続しながら、検出状況の記録が完了した遺構から、覆土精査のための人力 による掘り下げ作業を9月9日から開始した。本調査区における墓遺構の覆土は天井崩落に伴う地山 (ニービ)埋没土ないしブロックであることから、基本的には一括して除去しているが、切り合い等が 確認された遺構については半裁するなどしてセクションの観察を行った。精査に伴い遺物が残存してい た場合は出土位置を保った状態で写真撮影・実測作業を実施した後、遺物を取り上げ、完掘した。精査 の作業は12月24日までに完了した。

○遺構実測・写真撮影

 精査など上記の作業が完了した遺構は順次、実測・写真撮影の作業を進めた。遺構実測はトータルス テーションを用いて行い、遺物出土状況平面図・立面図および閉塞石などの実測については、デジタル 写真を基に作成した補正画像を用いた写真実測にて作図した。また、写真についてはリバーサルフィル ム・モノクロフィルム・デジタル写真を用いて、遺物出土状況・完掘状況を記録したほか、必要に応じ て遺物近接写真やセクション写真などを撮影している。また、調査前・完掘後の全景写真はラジコンヘ リを用いて空中写真を撮影した。全ての作業が完了した12月27日に、調査区全体に種子吹付を行い、 調査を終了した。

○追加調査

(19)

施した。 ○資料整理

 資料整理業務については平成26年6月から平成29年2月にかけて実施した。平成26年度には蔵骨器 および副葬品類の接合・注記・集計等の作業を行い、蔵骨器の一部については実測・トレースおよび写 真撮影を株式会社琉球サーベイに委託した。また、平成27年度には副葬品の実測・トレース作業を行 うと共に、前年度の接合等の作業により復元できた蔵骨器について、実測等の作業を株式会社パスコ及 び株式会社三興コンサルタントに委託した。平成28年度には、副葬品の写真撮影・実測・トレース・ 版組等の作業を実施した。

 上記と並行して、原稿の執筆・版組等の編集作業を行った後、平成29年2月に本書『前田・経塚近 世墓群9経塚下平良大名原A丘陵 ―浦添南第一土地区画整理事業に伴う緊急発掘調査報告書―』を刊行 した。

〈引用・参考文献〉

浦添市教育委員会1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』

浦添市教育委員会2007a『市内遺跡発掘調査報告書(1)-平成13~18年度調査報告-』 浦添市教育委員会2007b『前田・経塚近世墓群』

浦添市教育委員会2010『市内遺跡発掘調査報告書(2)-平成14~20年度調査報告-』 浦添市教育委員会2011『前田・経塚近世墓群2 首里大名地区』

浦添市教育委員会2012『前田・経塚近世墓群3 前田真知堂B丘陵(1)・前田真知堂C丘陵(1)』 浦添市教育委員会2013a『市内遺跡発掘調査報告書(3)-平成18~23年度調査報告-』

(20)

第2章   遺 跡 の 位置と環 境

第1節   浦 添市の地 理 的 環 境

 前田・経塚近世墓群が所在する浦添市は、沖縄本島中南部の西海岸に位置し、南側に県都である那 覇市、東側に西原町、北側に宜野湾市が隣接する。西側は東中国海に面しており、遠くには慶良間諸 島を望むことができる。市域は東西8.4km、南北4.6km、面積は約19.48k㎡で、人口は114,314人、 48,217世帯(平成28年11月末現在)を擁する市である。市の西部には国道58号線、市中央部には県道 330号線と県道那覇宜野湾線、東部には沖縄自動車道がそれぞれ南北に走り、島の南北を結ぶ主要交通 路が縦貫する。海浜部は、約270ヘクタールの地域を米軍牧港補給基地が占めている(第1図)。  市の地形は、標高約40m前後でほぼ二分され、東部は起伏の小さな丘と浅い谷が連なる波浪状の丘 陵地、西部は東中国海に続く東高西低の地形である。北部には、北西-南東方向に標高120~140mの 浦添断層崖が形成されている。本市の最高点は、字仲間から前田に所在する国指定史跡浦添城跡内の 138.4mである。それらの丘陵を分水嶺に北流する牧港川、シリン川、西流する小湾川、安謝川の四河 川はいずれも東中国海へ注いでいる。海岸線はほぼ全面で沖合にかけ豊かなサンゴ礁が発達している。  本市に分布する地層は、下位から上位に島尻層群、琉球層群、海浜堆積地及び沖積層に大別すること ができる。島尻層群は、本市の基盤を形成し市の中央部から南東部に広く露出するが、市西部や北部に おいてはかわって琉球層群が広く分布する。沖積層や海浜堆積物は四つの河川の河口付近や海岸沿いに みることができる。植生については、本市全域が去る大戦の激戦地であったために、ほとんど焼け野原 の状態になり、現在残っている植被は二次林となっている。気象は隣接する那覇市において年平均気温 22.3度、降水量2107.8ミリメートルで、冬は北東、夏は南東の季節風が卓越する。気温的には亜熱帯 で、降水量は多く特に梅雨期や台風期に多い。風は東アジア季節風帯に属している。

第2節   遺 跡 の地 理 的 環 境

 前田・経塚近世墓群は、浦添市の南東に位置する字前田と那覇市に隣接する字経塚一帯の丘陵地に分 布する墓群の総称である。この地域は小湾川と安謝川の上流域で、その分水嶺にまたがる地域であり、 一帯の地形はそれに由来する幾筋もの狭く浅い谷底低地と尾根から構成される。そのため、土地の起 伏に富む丘陵地となっており、幾つもの舌状の小丘陵が入り組む複雑な地形が形成されている。これ らの表層の地質は、豊見城層(小禄砂岩層)で構成されている。この砂岩は固結度が低い細粒の砂岩層 であり、方言名で「ニービ」と呼ばれている。この地域の谷筋は、尾根の森を水源涵養林として古くか ら水田や畑として開発されてきたが、その斜面にはニービを掘り抜いた多くの掘込墓(方言名:フィン チャー墓)が形成されている。

(21)

浦添市 沖縄本島

宜 野 湾 市

西 原 町

前田・経塚近世墓群

沖縄 自動

車道 路

県道41号 線 2

那 覇 市

国道5

8号 国道330号

浦添市 沖縄本島

宜 野 湾 市

西 原 町

0 1km

前田・経塚近世墓群 沖縄

自動 車道

県道41号 線 2

那 覇 市

国道5

8号 国道330号

が字前田に属し、沢岻川水系の上・下平良大名原が字沢岻 に属していたが、大正五年の字経塚の新設にあたり、字沢 岻・字前田・字安波茶の子字をそれぞれ割いて設立した時 より、現在の帰属になっている。

 この地域一帯は、平成3年に浦添市が実施する浦添南第 一土地区画整理事業が都市計画決定され、その翌年から着 手された。同事業が進行する過程で、上記の墓群が次々に 発見され、現在までにその数が1,000基を超えている。墓 は、西前田原、東前田原、真和志堂原、前原、真知堂、南 小島原、下平良大名原、子ノ方原に主に分布し、特に真知 堂に集中している。平成21年度調査では、前田・経塚近世 墓群が市域をまたいで南側の那覇市大名区域まで広がるこ とが明確になった(浦添市教育委員会2011)。

 今回報告を行う調査区は、字経塚のほぼ中央に位置して おり、下平良大名原から南小島原にかけて南北に約350m の長さを呈する丘陵の一部で、下平良大名原と南小島原と にまたがった約1,900㎡の範囲である。同丘陵からは全体 に近世以降の墓が埋没していることが確認されており、今 第1図 遺跡の位置

(22)

回の調査区以北は平成16年及び19年に既に発掘調査を実施しており、本報告の対象範囲は丘陵の南端 にあたる。二つの小字にまたがった調査区であるが、便宜上、今回の調査区については「下平良大名原 A丘陵」と呼称することとする。本調査区の北側は発掘調査後、すでに開発がなされ、道路・商業施 設・宅地化されており、東側を病院、西及び南側は調査時点において区画整理事業における造成中の地 域である。また、上記の調査区と同時に実施した不時発見墓の調査も、同じく下平良大名原地内に在し ており、本調査区から西に約150mの地点に位置している(第3図)。

 同丘陵は、周辺開発の関係上、平成23年度に丘陵南側の開発に先立つ遺構確認のための踏査を実施 した。本調査地は、概ね標高97mから108mで、そのうち101mから108mの範囲において、その斜 面部に横穴を掘り込んだ墓などの遺構が74基確認された(浦添市教育委員会2013a)。調査面積は約 1,900㎡の範囲である。また、前述の不時発見に伴う調査地点では2基の墓遺構が検出された。

第3節   遺 跡周辺の歴 史 的 環 境

 浦添市が所在する沖縄本島中南部の遺跡分布の特徴としては、貝塚時代後期には海浜部に遺跡群が形 成され、比較的内陸部の遺跡は少ない。グスク時代には、畑作や稲作が行われるようになり、遺跡も内 陸部の石灰岩台地周辺に展開した。前田・経塚地区のように石灰岩台地がなく谷底低地が発達した地域 は、グスク時代遺跡の分布が希薄な地域であると言われている。

 古琉球期の状況については不明な点が多い。「浦添城の前の碑文」によると、1597(万暦25)年に尚 寧王が「宿道」と呼ばれる街道の整備を行い、首里から浦添に至る道を石畳にした。この時、木橋だっ た安波茶橋が石橋に替わり、経塚を通る「宿道」が石畳に改められたとされる。また、1609(万暦37) 年に島津軍が琉球に侵攻した際には、首里への侵攻路として利用された。

 近世には地方統治制度として「間切・村制度」が採用され、1649(順治3)年に作成された『琉球国 絵図郷村帳』には、南第一地区一帯に「前田村」・「沢岻村」・「あはき村」(安波茶村)の3ヶ村の名 が見える。経塚は行政単位の「村」として成立していないため同図には登場しない。「経塚」の地名は 1524(嘉靖3)年に日秀上人が、現在「経毛」と呼ばれる場所に経塚を建立したことに由来する。同集 落は首里士族の屋取集落として成立、発展した。その成立年代は明らかではないが、1800年代前半に は屋取集落が成立していたとされる。その後、1879(明治12)年のいわゆる「廃藩置県」によって職を 失った士族が多く移り住んだことによって、現在の字経塚の基ができた。1916(大正5)年には、沢岻 から「洗江良原」「経塚原」「上平良大名原」「下平良大名原」、安波茶から「北経塚原」「南経塚 原」、前田から「南小島原」「西小島原」「子の方原」が分割されて字経塚が成立した。

 前田・経塚近世墓群では1700年頃の銘書がある蔵骨器もみられることから、この頃には墓地として の利用が始まったと考えられる。これまで確認されている同墓群の墓の所有者については、概ね北側の 前田一帯の墓は、前田の人のものが多く、南側の経塚一帯の墓は、首里の人の墓が多いというデータが ある。経塚は首里の近郊に位置するため、首里の士族層を中心に多くの墓が建立された。そして、近世 以降も現在に至るまで墓の造営は続けられ、墓域としての利用が続いている。

(23)

多くの証言が得られている。

〈引用・参考文献〉

浦添市教育委員会1980『うらそえの文化財』 

浦添市史編集委員会1981『浦添市史 第二巻 資料編1』浦添市

浦添市史編集委員会1984『浦添市史 第五巻 資料編4 戦争体験記録』浦添市 浦添市史編集委員会1987『浦添市史 第六巻 資料編5』浦添市

浦添市史編集委員会1987『浦添市史 第七巻 資料編6』浦添市 浦添市史編集委員会1989『浦添市史 第一巻 通史編』浦添市

浦添市教育委員会 1998『浦添間切前田村・沢岻村域の近世墓と水田跡分布調査』 経塚自治会2006『字経塚史』

浦添市教育委員会2011『前田・経塚近世墓群2 首里大名地区』

浦添市教育委員会2013a『市内遺跡発掘調査報告書(3)-平成18~23年度調査報告-』 浦添市教育委員会2013b『前田・経塚近世墓群4 経塚子の方原A丘陵(1)』

(24)

経塚上平良大名原

経塚下平良大名原

経塚子の方原 経塚南小島原

前田真知堂

前田真和志堂

前田東前田原 前田前原

前田西上原 前田前田原 前田西前田原

経塚西小島原

比嘉門中の墓(3号墓) N

前田黒島原

玉城朝薫の墓(邊土名家の墓)

県道241号線

県道153号線 グリーンハイツ

沖縄国際センター

前田小学校

区 画 整 理 事 業 範 囲

小字境界 報告箇所

遺 構 確 認 範 囲

比嘉門中の墓(2号墓)

0

5 0 0 m

第3図 前田・経塚近世墓群調査地区の位置

N

9

(25)

第3章   発 掘 調 査の概 要

第1節   調 査 の方 法

 本地区の調査は、平成23年度に表面踏査を行い、その後平成25年度に本調査を実施した。

 表面踏査では調査区全体を簡易的に除草し状況を観察したところ、調査区中央の丘陵平坦面に近年に 移転が終了したコンクリート墓が点在しており、周囲には廃棄された蔵骨器やその破片が散在している 状況が見てとれた。丘陵斜面部には埋没した掘込墓の墓口の一部が確認できるものや、墓室内部が崩落 した事による地形表面の陥没ではないかと考えられる様子が認められたことから、本調査区には80基 程度の墓遺構が検出されるものと想定して調査に臨んだ。

 本調査ではまず、バックホウなどの重機を用いて伐木・コンクリート墓の撤去を行い、次いで表土の 除去および除根作業を実施した。表土は腐植土ないし崩落土であるとみられ、表土直下からは細粒砂岩 (ニービ)の地山が検出された。これまでの調査成果から、前田・経塚近世墓群はニービを地山とする 丘陵斜面を掘り込んで構築されており、地山を露出させることで墓の造営および使用時の遺構面を検出 できる事が確認されている。そこで、本調査区においても表土を除いた地山の検出面を遺構確認面とし て機械による掘削境界面とした。遺構確認面を露出させた後は、人力による作業に移行し、プラン確認 等の遺構細部の検出作業を行った。その結果、丘陵頂部及び斜面上部から1段ないし2段にわたる横並 びの墓遺構が合計77基検出された。なお、上記の調査手順は、前章で述べた下平大名原A丘陵の調査区 と不時発見により調査を行った調査区ともに共通である。

 上記の遺構を検出し、遺構検出状況写真を撮影した後に、順次覆土精査の作業を実施した。本調査区 の遺構覆土の大半は天井崩落土であることから基本的には一括して除去したが、遺構同士が切り合って いる場合や、墓室床面を造成している場合などは適宜半裁するなどして、その構造を確認・記録を行っ ている。結果、墓室内の蔵骨器等遺物が原位置残存・原位置ではないものの遺物残存・台石あるいは閉 塞石などが残存といった比較的残存状態が良好で情報量の豊富な遺構が36基、遺物が残存しないある いは後世の攪乱等で一部ないし大半が消失しているなど残存状態の不良な遺構が基の合計41基である ことが確認された。これらのうち前者の遺構群については遺物出土状況写真の撮影・遺物出土状況平面 図および立面図等の実測図を作成した後、遺物を取り上げ、完掘写真撮影及び完掘状況の遺構平面図・ 断面図を作成した。なお、実測図は1/20で作成し、一次葬人骨および詳細図が必要な図面については 1/5の縮尺で作成している。残存状態不良の遺構については1/40の簡略図の作成を行っている。なお、 遺構実測図の本報告書への掲載にあたっては、紙幅の都合上、適宜縮尺の調整を行った。

第2節   層序と遺 構

 前節までに述べたとおり、本調査区では地表面全体を腐植土や近現代の遺物が混在する表土に覆われ ており、これを除去すると細粒砂岩の地山が検出される状況が確認された。そのため地山の露出面を もって遺構検出面としたため、調査区全体の層序について確認することができず、直接切り合いを有す る一部の遺構同士を除いては、遺構検出状況から明確な新旧関係を窺うことは困難であった。

(26)

0

10

0m

(27)

103 104 105 107 108 107 105 104 103 101 102 103 104 105 106 107 97 98 99 101 103 104 105 106 101 106 102 100 107 98 99 100 101 102 102

2号墓

20号墓

75号墓

3号墓

74号墓 50号墓

4号墓

53号墓 53号墓

7号墓 7号墓

26号墓 26号墓

52号墓 52号墓

76号墓 76号墓

1号墓 1号墓

63号墓 63号墓 30号墓 30号墓 27号墓 27号墓

10号墓 10号墓 9号墓 9号墓 8号墓 8号墓 72号墓 72号墓 73号墓 73号墓

19号墓 19号墓

34号墓 34号墓

62号墓 62号墓 29号墓

29号墓

37号墓 37号墓 77号墓

77号墓 78号墓 78号墓

5号墓 5号墓

6号墓 6号墓

23号墓 23号墓

22号墓 22号墓

12号墓 12号墓 11号墓 11号墓 25号墓

25号墓

16号墓 16号墓 24号墓

24号墓

13号墓 13号墓

15号墓 15号墓

21号墓 21号墓 28号墓

28号墓

51号墓 51号墓

14号墓 14号墓

18号墓 18号墓 69号墓

69号墓

71号墓 71号墓 70号墓 70号墓

17号墓 17号墓

31号墓 31号墓 66号墓 66号墓

32号墓 32号墓

33号墓 33号墓

36号墓 36号墓

39号墓 39号墓 38号墓 38号墓

41号墓 41号墓

42号墓 42号墓

65号墓 65号墓 40号墓 40号墓

46号墓 46号墓

64号墓 64号墓

47号墓 47号墓

48号墓 48号墓

60号墓 60号墓 49号墓 49号墓

44号墓 44号墓 43号墓 43号墓

61号墓 61号墓

55号墓 55号墓

56号墓 56号墓

54号墓 54号墓 57号墓 57号墓

35号墓 35号墓 67号墓

67号墓

Y:22320.000 Y:22340.000 Y:22360.000 Y:22360.000 Y:22380.000 Y:22380.000 X:26160.000 X:26140.000 X:26140.000 X:26120.000 X:26100.000 X:26080.000 X:26120.000 X:26100.000 X:26080.000 X:2616.000

0 S=1/400 10m

(28)

であり、天井部分を形成していた細粒砂岩(ニービ)や泥岩(クチャ)の砂粒・ブロックが墓室内に厚 く堆積していた。しかし、多くの遺構において墓室内部に蔵骨器が原位置で残存している状況が確認さ れたことから、使用段階であった墓が崩落により埋没し、再び掘り出されることなく発掘調査での検出 に至ったものと思われる。また、天井が残存する遺構を3基確認することができたが、そのうちの2基 は墓室内部には蔵骨器等の遺物は残存しておらず、移転廃棄された様子を見てとることができる。  本調査区の遺構の大半は丘陵斜面から検出されており、入口から墓室の床面から壁面までを認識でき るものが主体をなす。また、調査区中央一帯で丘陵頂部から遺構が検出されているが、これらは床面と 床面近くの壁面がいくらか残存するのみで、上部が削平され詳細な形状が認識できない事例も窺われ た。そのほか、遺構のプランが調査区外に及んでいる場合も数基確認されている。

 個別の遺構では、埋没墓は基本的に地山崩落土が堆積しており、多くは段階的にではなく一気に埋没 したものと思われる。蔵骨器や副葬品などは床面や棚上から出土しているが、一部の遺構では崩落した 地山埋没土の上から設置状態で出土している蔵骨器も確認されている。これらは地山の堀方にニービの 土を用いて床面を造成したものである場合と、墓室が一度崩落した後に再度、掘り込んだものである場 合が考えられる。本調査区からは両者の状況を窺うことのできる遺構がそれぞれ検出されており、個々 の状態については次章で述べる。

 各遺構の特徴の概要については第2表に一括して記載しており、墓室の類型については浦添市教育委 員会2007に準拠したほか、表中の蔵骨器の有無は原位置での残存ないし概ね完形の蔵骨器が残存して いる遺構について「有」として記載している。

第3節   遺 物

 遺物は、総計で2,162点が出土した。出土遺物の数量と内訳は、第3表の通りである。主たるものと しては、陶製および石製の蔵骨器、副葬品と思われる陶磁器類、煙管や簪、銭貨などの金属製品、一次 葬時の木製の棺箱のものと思われる鉄釘や木片などが出土している。また表土層からは、戦時中の砲弾 片などの戦争遺物も多く出土した。遺物については、基本的に墓毎に取り上げ作業を行った。以下に種 類ごとにその概要を述べる。

(1)蔵骨器

 出土遺物の中で最も多数を占めたものが蔵骨器である。総点数では1,895点が出土しており、その種 類や出土地点ごとの内訳については第3表にまとめた。

 蔵骨器の種類は陶製甕形・陶製御殿形・石製家形・転用品に大別され、陶製のものについては沖縄の 那覇市壺屋産のものであると考えられる。数の上で、圧倒的多数を占めるものは陶製の蔵骨器で、マン ガン釉を施されるタイプのものが最も多く、次いでボージャー形が多い。また、形態的に両者の折衷形 と評価される資料もいくつかみられる。陶製御殿形は遺構に伴うものとしては2点、石製家形は1点と 少数である。日常雑器などが蔵骨器として転用された「転用蔵骨器」では、水甕・鉢・擂鉢・壺が利用 されており、特に鉢・擂鉢は甕形蔵骨器の蓋として用いられたものである。

(29)

 なお、蔵骨器の詳細については、次章で各遺構ごとに述べるとともに、第32表に一覧化しているた めご参照いただきたい。

(2)蔵骨器以外の陶磁器

 蔵骨器以外の陶磁器では、一次葬に伴う副葬品や墓が機能していた際に供献されたものであると考 えられる小物類が主として出土した。その種類と数量は第3表に記載した。そのほとんどは沖縄産で あり、瓶・小杯・壺・香炉・瓶子などの器種がみられる。施釉や文様・彩色などの特徴から、主に近世 から近代にかけて流通したものと考えられ、一部には本土から持ち込まれたとみられる資料も認められ る。また、器以外では陶製の煙管の雁首と吸口が複数の墓遺構から出土しており、羅宇接続部が円形を 呈するものと六角形を呈するものとがみられる。墓室から一次葬人骨に伴って出土するものは副葬品と 捉えられるが、墓庭から出土した資料についてはその意義に一考の余地があろう。

(3)金属製品

 金属製品は、煙管・簪・銭貨・指輪・釘が出土した。釘以外は、ほとんどが青錆に覆われることから 銅製であることが窺われる。釘は鉄製とみられ、一次葬人骨に伴って出土していることから、棺箱に用 いられていたものであろう。煙管は雁首と吸口がセットになって出土したものが多く、内部に羅宇が残 存しているものも数点みられる。また、延べ煙管が1点出土しており、銘が陽刻されていることから、 生産元をたどることができる可能性がある。指輪は、幅を大きくとって研磨加工を施すタイプと細い輪 を重ねて作るタイプがみられ、研磨加工を施すタイプには巴文・花文などが表面に描かれる様子が観察 できた。簪は、頭部の形状により男性用・女性用がそれぞれ出土している。

(4)銭貨

 銭貨は寛永通寳・乾隆通寳などが遺構に伴って出土している。本調査区で特筆すべきは、53号墓の 蔵骨器1の内部から出土した鳩目銭で、少なくとも千枚を超える数があったとみられ、前田・経塚近世 墓群のなかでも希少な事例である。

(5)その他の製品

 その他の遺物として着目されるものは、41号墓から出土した円盤状の陶製品である。前田・経塚近 世墓群の他の調査地点や那覇市銘苅古墓群などで類似品が出土しており、その形状から窯道具であると 考えられている。墓との関係性について、どのような意味を有するのか、着目される資料である。

(30)

第1表 墓室平面形の類型(浦添市教育委員会2007『市内遺跡発掘調査報告書(1)』を一部改変、加筆修正)

蔵骨器が数点置けるくらいの広さで、墓口から奥壁まで直線的に造る。平面形は縦長の方形となる。1人(一次葬人骨)を安置する墓として造られる。棺箱は遺構形状と同様に縦置きとなる。 ※ 奥壁の片側または両側を拡張して蔵骨器を安置する場合もある。

d 蔵骨器が数点置ける広さで平面形は楕円に近い。1c同様一次葬人骨を安置する墓として造られる。

1cでは棺箱を縦置きするが、1dは横置きになる。

平面形が「コ」字を90度左に回転した形状。棚は平坦になる。※ 左右棚の片側いずれかと正面棚の接地部に段差ができることもある。 ※ 棚の高さで分類できる可能性あり。

平面形は3類aと同じだが、正面棚と左右棚の接地部に段差ができる。 正面に比べて左右の棚が低くなる。

「L」字状 奥壁(正面)と側壁のいずれか片側のみ棚を造る。平面形は「L」字を90度または180度、右に回転した形状。

墓室内が直線的な規格で造られ、正面に1段の棚を造る。

※ 棚の高さで細分類できる可能性あり。

c

「L」字状+

階 段 状 3類c+4類c

「L」字状+

段 状 3類c+4類b

6類

「コ」字状 段 状

4類 (階段状)段状

5類

「コ」字状 階 段 状

3類

「コ」字状

1類

2類

棚無し

出窓状

(31)

遺構

番号 外観形式 墓室   類型 墓室 面積    (㎡)

墓口 方位

墓室寸法(m) 閉塞

蔵骨器 一次葬 概要 高さ 奥行

1 掘込墓 4b 3.65 N28°E北北東 (1.18) 1.47 2.40 第 4 章第 1 節

2 掘込墓 4b 3.36 N89°W (1.10)西 1.44 1.85 第 4 章第 2 節

3 掘込墓 1a 2.02 N76°W (0.77)西北西 1.56 1.58 第 4 章第 3 節

4 掘込墓 1b 1.42 N139°W (0.62)南西 1.38 1.12 第 4 章第 4 節

5 掘込墓 1a 1.52 N57°W西北西 0.97 1.42 1.50 第 4 章第 5 節

6 掘込墓 1b 2.93 N32°W (1.11)北北西 1.82 1.66 第 4 章第 5 節

7 掘込墓 1b? (1.08) 不明 (0.54) (0.76) (1.10) 不明 台石のみ

第 4 章第 6 節

8 掘込墓 1b 1.54 N88°W (0.59)西 1.47 0.98 第 4 章第 7 節

9 掘込墓 4b 2.07 N89°W (0.76)西 1.53 1.38 台石のみ

奥壁に 1 段の棚を持つ空墓。シルヒラシには一次葬に伴う石灰岩の台石が原位 置と思しき地点から検出されたものの、棺箱の痕跡・人骨・蔵骨器等は破片も 含め殆ど見あたらない。覆土は基本的に地山崩落土で、移転後に全体が埋没し たものと思われる。また、入口部分は拳大の石灰岩礫で閉塞されていた痕跡を 残すと共に、入口外側の左脇に石灰岩礫の集積が検出されたことから、移転に 際して一部閉塞石を取り外して投棄したもの溜まりであると考えられる。なお、 台石は地山床面よりやや浮いたレベルに位置しており、直下にはニービ砂粒混 じりの粘質土が堆積している。

10 掘込墓 1c (0.73) N92°W (0.79)西 0.95 (1.99) 9 号墓に隣接して構築されており、床面・奥壁・左壁の立ち上がり部分が残存する。9 号墓との隔壁は一部を残すのみであり、入口部分は削平されて残存し ない。奥壁際に棚の痕跡らしきものが認められるが、不明瞭。

11 掘込墓 4a 1.15 N38°W (0.46)北西 0.85 1.39

床面及び壁面の一部のみが残存する。底部のみ残存する蔵骨器が地山直上で出 土している。入口は西側を向くが、墓室縦軸は南東方向と、ずれを生じている。 また、石灰岩礫の石積みが検出されており、入口部分の閉塞石であろうと想定 される。礫群は地山から約1m程度堆積した土の上に設置されており、石積み 最下面は蔵骨器設置レベルと一致する。そのため、石積み直下の位置には、元 来異なる墓遺構が存在し、埋没した後に本遺構が形成された可能性が考えられ る。

12 掘込墓 4b 1.44 N72°W (0.55)西北西 1.25 1.09

墓室床面および閉塞石と思しき石灰岩の石列が残存する。ただし、この石列は 地山直上ではなく地山ブロックを含む堆積土の上に設置されている。墓室床面 レベルと石列設置レベルは一致することから、両者を一連のものと捉えて差し 支えはないと考えられる。一方で、石列から約 30㎝下のレベルで検出された 地山面は、12 号墓の墓室および石列構築以前に構築された墓遺構であった可 能性が推測される。

13 掘込墓 1b 3.00 N91°W西 1.26 1.73 1.22 本調査区の中で天井を残存する 2 基の墓遺構の内の一つ。調査区中央のテラス状の平坦面を墓庭として共有していると思われる一群に属する墓である。

14 掘込墓 4b 2.55 N89°W西 (0.55) 1.70 2.60

地山床面および壁面の一部・入口部分が残存するが、大部分の壁および天井は 削平され残存しない。奥壁際に棚を 1 段もち、原位置を保つ蔵骨器等は残存し ない。覆土は地山崩落土が堆積している状態であった。床面は凹凸が激しい。 なお、周囲には 13 ~ 17・24・25 号墓が近接するが、14 号墓のみ墓室および 入口の位置が西側にずれており、上記の墓群とは異なる並びで構築されたもの であることが窺われる。

15 掘込墓 1a (0.79) N117°W西南西 0.77 (1.05) (0.78) 奥壁と壁際の床面の一部が残存するのみで、側壁や入口部分の形状等は不明で ある。

16 掘込墓 4c 3.14 N112°W (1.33)西南西 1.63 1.98 墓室床面と奥壁際に構築された 2 段の棚が残存する一方で、左右の壁面や羨道を含む入口側の壁面は消失している。墓室西側に地山に埋め込まれた板状の石 灰岩が検出されており、サンミデーではないかと考えられる。

17 掘込墓 1d 1.48 N 130°南西

W (1.24) 1.68 0.93

横長の長方形の墓室を有し、棚等の構造物を持たない遺構。床・奥壁・左壁の 一部がクチャを掘り込んで形成される。入口部分にサンゴ石およびニービのフ ニを検出。これらの直下に地山崩落土、その下に粘質土が堆積することから、 一定度自然堆積のあった後に天井が崩落・埋没したものと想定される。そのた め、サンゴ石などは当初の遺構使用時と直接的に関連するものではない可能性 が高い。

18 掘込墓 1b 1.91 N 130°南西

W (1.47) 1.62 1.27

遺構検出面から 1.5m 以上の深さで地山床面を検出しており、覆土の大半は天 井崩落土で占められる。完形のボージャー形蔵骨器が 1 点出土しているが、天 井崩落土に載る位置で現代遺物を共伴することから、18 号墓と直接的な関連 は薄い。一方で床面直上から櫛や金属片等が出土することから、墓室内の堆積 も戦時中以降と思われる。

19 掘込墓 不明 (0.61) 不明 不明 (1.65) (0.86)

クチャを掘り込んで構築されており、蔵骨器が 1 点原位置を保って出土してい ると見られるのみで、墓室入口付近の壁面の立ち上がりがわずかに確認できる のみである。

20 掘込墓 1b (0.67)

北西 N 55°

(1.09) 0.82 (1.12) 2 号墓の南側に隣接するクチャ層を掘り込んで構築された小規模遺構。遺物等 は出土していないことから時期等の詳細は不明である。

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